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渋沢栄一対比列伝 ヘンリー・ハインツ

2015-03-28(土)13:30 - 15:00 JST
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渋沢栄一とハインツ父子

渋沢栄一翁(1840~1931)のすごさは、その多彩な交友関係においても、語り尽くせぬほどの量と質を誇っています。国内はもとより、海外、とりわけアメリカの友人との間に、深い交友関係を持ちました。
 世界有数の食品メーカーとして知られるハインツの創業社長であるヘンリー・ジョン・ハインツ(1844~1919)と、その次男で二代目社長であったハワード・ハインツ(1877~1941)父子との友情もまた感動的なものです。

 渋沢栄一翁は、その生涯において、都合四度のアメリカ訪問を果たしました。その二度目、明治四十二年(1909)、渡米実業団の団長としてアメリカを訪れた際、ピッツバーグのハインツ社を見学、そこで社長のヘンリーと初めて出会いました。次に、大正四年(1915)の三度目の訪米では、ピッツバーグに一泊し、その夜ハインツ家の晩餐に招かれましたが、話題はもっぱら宗教や信仰をめぐって展開され、両者の間には大いに友情が深まったのでした。次に、大正十年(1921)、最後の訪米になりますが、この時はハインツ家に二泊して旧交を温めています。すでにその前々年ヘンリーは他界しており、その次男ハワードとの間に、往時を回想して時のたつのを忘れたのでした。翌朝ハワードとともに、その父ヘンリーの墓に詣でた渋沢栄一翁は、花輪を捧げ、哀悼の誠を尽くしました。
その足で渋沢栄一翁たち一行は、同市にあるカーネギー博物館に展示されている日本人形のお披露目式に出席しました。それはヘンリーの寄贈になるものでしたが、三度目の訪米の際、その服装が時代的に混乱しているのを見て取った渋沢栄一翁は、その修繕方を引き受けたのです。数年が立ち修繕なったその日本人形は再び同館に収まり、渋沢栄一翁の最後の訪米に際してこれを迎えることとなりました。同館では、渋沢栄一翁の労をねぎらうため、ささやかではありましたが、心のこもった歓迎式典が催されました。

 渋沢栄一翁がハインツ父子との交友を通して、最も感銘を受けたのは、実業という俗世間のことにたずさわりながらも、その精神においては、実に真摯なものがあり、常に社会公共のために尽くそうとするその姿勢でした。ここに日米の実業界における大きな違いを見た渋沢栄一翁は、こののちみずからも努力し、他人にも勧めて、常に真摯であろうと心がけました。
 昭和二年(1927)の日米人形交換に先立ち、渋沢栄一翁とハインツ父子との間に交わされた友情の一コマです。
(新井慎一 記)

講師紹介

講師:新井慎一先生
昭和25年、深谷市に生まれる。深谷市郷土文化会会長・東都医療大学非常勤講師。渋沢栄一顕彰事業株式会社代表取締役。

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入江アカデミア

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橋本順一先生(慶應義塾大学名誉教授)による『フランス・アラカルト』は、2016年度(平成28年度)で第4期目を迎えます。本年度からは教室が下記住所に変更になりますのでご注意ください。 場所:埼玉県深谷市緑ケ丘18-2

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